2010年06月16日
飛鳥はどうして「アスカ」と読むのか
『縮み志向の日本』で有名な李御寧先生の講演「韓日中とジャンケン文化」を聞いた。ジャンケン文化については別途書きたい。面白かったのは「飛鳥」をどうして「アスカ」と読むようになったかという説明だった。飛鳥は「明日香」とも書く。この場合、だれでも読めるはずであるが、飛鳥はどうして「あすか」なのかずっと疑問に思っていた。
李先生の解説は以下の通りだった。
ハングルで飛ぶは「ナルダ」、 日は「ナル」で同音。
鳥は「セ」、明けるは「セダ」で同音。
日が明けるの「ナルセ」と飛ぶ鳥の「ナルセ」が同音なのだ。
香の発音は「コヒャン」
実は故郷も発音は「コヒャン」。
明日の郷つまり明日香は「ナルセコヒャン」
「ナルセコヒャン」を漢字に変換すると「飛鳥郷」となる。
それが日本語の明日香→アスカ→飛鳥となるのだ。
本当かどうか分からないが、なんとなく納得させられた。
この記事へのトラックバックURL
http://ch01617.kitaguni.tv/t1679145
この記事へのコメント
素朴に無理杉 と思いました
Posted by とおりすがり at 2010年07月03日 21:17
全ての日本語は韓国から受け継がれたものです。
Posted by ニダー at 2010年07月07日 09:14
司馬遼太郎は、そのむかし玄界灘をはさんで同じ言葉をしゃべり、文化を共有する人々が住んでいたのだと語っています。どちらが先だととか後だとかは言っていません。そういうものの考えは大切だと思います。
Posted by Yorozubampo
at 2010年07月12日 10:10
at 2010年07月12日 10:10「飛ぶ鳥の明日香の里をおきて去なば君があたりは見えずかもあらむ」(「万葉集」巻一の七八)
あすか の あす は 浅いという意味
あすか の か は 在処などに使われる場所という意味
明日香地方は盆地であり、古代には湿地帯で沼とか池が多数あったとされている。 だからこそ 稲が良く育ち みずほ の国でもあった。
池や沼が多数あったことから 水鳥も多く 上記にかいたように
飛ぶ鳥 が 明日香の枕詞になったのである。 その枕言葉が転じて
あすか と同義になったとするほうが ずっと説得力がある。
韓国人はしばしば現代の韓国語(朝鮮語)から出鱈目な推測をおこない 韓国語(朝鮮語)が日本語の母親であるかのごとき嘘を多数はいているが この奇妙な癖のひとつが紹介された説であって この手の嘘は非常に多い。 下らない が 百済ない からきたなどという
嘘と同じ種類であり 信じるに値しない。
あすか の あす は 浅いという意味
あすか の か は 在処などに使われる場所という意味
明日香地方は盆地であり、古代には湿地帯で沼とか池が多数あったとされている。 だからこそ 稲が良く育ち みずほ の国でもあった。
池や沼が多数あったことから 水鳥も多く 上記にかいたように
飛ぶ鳥 が 明日香の枕詞になったのである。 その枕言葉が転じて
あすか と同義になったとするほうが ずっと説得力がある。
韓国人はしばしば現代の韓国語(朝鮮語)から出鱈目な推測をおこない 韓国語(朝鮮語)が日本語の母親であるかのごとき嘘を多数はいているが この奇妙な癖のひとつが紹介された説であって この手の嘘は非常に多い。 下らない が 百済ない からきたなどという
嘘と同じ種類であり 信じるに値しない。
Posted by ポコリン at 2010年07月18日 04:15
在処(ありか) 住処(すみか) などに使われる か という言葉は場所をさす言葉である。
明日香はもちろん音を漢字で表しただけのものであり 香などは美しいから万葉の人が採用したのである。
明日=あす あした
明日香地方は奈良盆地の南であり そこの地図をよくよくみると今でも結構多くの池や水溜りがある。 今では埋め立てられて見えないが過去にはもっと多数の沼があった。 そこは水田には適しており そこに王朝の基盤ができる素地があった。 豊葦原 瑞穂 の国という文字をみても 葦が豊かに生えるところであり水稲を育てやすい土地であったのだ。
ちなみに 下らない を 品質が落ちる、 百済のように日本よりも進んでいたところでしか出来ない品質の高いものの否定形が 百済ない であるという妄言は妄言であって この言葉は 江戸時代における京都と江戸の政治的力関係が逆転したことから生まれたのは知られている。 つまり京(上方)から江戸に下るもの、すなわち 京都朝廷が江戸幕府におべっかのために品物を贈るのだが 品質の悪いものは下らせることができないから 下らない という言葉が生まれた。
ウリナラ マンセー(わが国 ばんざい)の李先生は 同様に 奈良はウリナラのナラ(国家)からきたと主張するだろうが 奈良は均す(ならす) などにみられる なだらかに傾斜している場所を意味する言葉からきたというのが妥当であり国という意味では断じてない。 城壁で囲まれた国(この漢字も旧字体でみれば城壁のなかに武器が置かれた状態をさす象形文字だが)などは日本には歴史的にもなかった。
韓国語(朝鮮語)はそもそも古い時代の文献がさっぱりなく 万葉とか日本書紀から探るしかないという哀れな状態であり、そこで昔の朝鮮語の音も不明なため現代使用中の韓国語などの音からあて推量をおこなうのが韓国の二流学者先生たちなのである。 どうして現代韓国語の音が当時の音と通じるなどということがあろうか。 日本語だって猛烈な変化をしたことは良く知られていることなのだが そうしたものはすっかり無視して自分の都合のよいような説明をするのが韓国式ともいえる面があるのは否定しがたいと思われる。
明日香はもちろん音を漢字で表しただけのものであり 香などは美しいから万葉の人が採用したのである。
明日=あす あした
明日香地方は奈良盆地の南であり そこの地図をよくよくみると今でも結構多くの池や水溜りがある。 今では埋め立てられて見えないが過去にはもっと多数の沼があった。 そこは水田には適しており そこに王朝の基盤ができる素地があった。 豊葦原 瑞穂 の国という文字をみても 葦が豊かに生えるところであり水稲を育てやすい土地であったのだ。
ちなみに 下らない を 品質が落ちる、 百済のように日本よりも進んでいたところでしか出来ない品質の高いものの否定形が 百済ない であるという妄言は妄言であって この言葉は 江戸時代における京都と江戸の政治的力関係が逆転したことから生まれたのは知られている。 つまり京(上方)から江戸に下るもの、すなわち 京都朝廷が江戸幕府におべっかのために品物を贈るのだが 品質の悪いものは下らせることができないから 下らない という言葉が生まれた。
ウリナラ マンセー(わが国 ばんざい)の李先生は 同様に 奈良はウリナラのナラ(国家)からきたと主張するだろうが 奈良は均す(ならす) などにみられる なだらかに傾斜している場所を意味する言葉からきたというのが妥当であり国という意味では断じてない。 城壁で囲まれた国(この漢字も旧字体でみれば城壁のなかに武器が置かれた状態をさす象形文字だが)などは日本には歴史的にもなかった。
韓国語(朝鮮語)はそもそも古い時代の文献がさっぱりなく 万葉とか日本書紀から探るしかないという哀れな状態であり、そこで昔の朝鮮語の音も不明なため現代使用中の韓国語などの音からあて推量をおこなうのが韓国の二流学者先生たちなのである。 どうして現代韓国語の音が当時の音と通じるなどということがあろうか。 日本語だって猛烈な変化をしたことは良く知られていることなのだが そうしたものはすっかり無視して自分の都合のよいような説明をするのが韓国式ともいえる面があるのは否定しがたいと思われる。
Posted by ポコリン at 2010年07月18日 04:58


