2011年11月08日
国の無駄遣い4200億円で賄える震災復興
最近、意味の分からない議論が多すぎる。東日本大震災の復古財源に充てる復興債の償還期間が25年に延長されることで与野党が合意した。そもそも復興債の発想は「次世代に負担させたくない」(野田佳彦首相)ということから始まった。当初10年で返済するはずだったものが、自民党の要請で25年に延長されてしまった。与野党の合意は歓迎すべきことだが、25年となれば、確実に次世代に引き継がれることになってしまう。そうなら、あえて「復興債」などという仰々しいことをしなくても建設国債でも赤字国債でもよかったはずである。この間の与野党の議論はなんだったのかと思うととたんに疲れが出てしまう。
一方、会計検査院が野田首相に提出した2010年度の決算検査報告書によると、税金の無駄遣いは約4283億円だったそうだ。金額で2009年の1兆7904億円に次いで過去2番目に多かった。ちょっと待て。東日本大震災の復興に使う11兆2000億円を25年で割ると4480億円。国の無駄遣いとほぼ同じではないか。政府が無駄遣いをやめれば、復興債など出さなくとも賄える金額ではないのか。 続きを読む
2011年11月08日
賀川豊彦と協同組合文化 第3回フォーラム
賀川豊彦は、労働運動、農民運動、平和運動など、さまざまな社会運動に先駆的に関わりましたが、とりわけ協同組合運動はそれらを包含する大社会運動でした。それは生産、販売、信用、保険、共済、利用、消費などの事業をとおして展開される壮大な社会改良運動であるとともに、人と人を結ぶ人格的・内面的価値に基づく精神的運動でもありました。賀川が「協同組合文化」 と呼ぶゆえんです。われわれは、これをひとつの契機として、現代社会における協同組合のあるべき姿を探求したいとねがっています。
第三回フォ一ラム 定員先着120名
(事前申し込みは必要ありません)
日時:2011年11月25日(金) 14: 00 ~ 17 :00
会場・労働金庫会舘9F大会議室
司会:加山久夫 (賀川豊彦記念総沢資料館館長)
挨拶.:石橋嘉人 (社団法人全国労働金庫協会理事長)
挨拶:田原憲次郎 (全国労働者共済生活協同組合連合会代表理事理事長)
講演1 小林正弥(千葉大学大学院教授)
「友愛公共社会を創る~いま協同組合を考える~」
講演2 ;浜田陽(帝京大学准教授)
「共有文明と卜ヨヒコ・カガワ~新たなる協同組合文化をもとめて~」
2011年10月31日
梼原で1000年続く津野山神楽
高知県西部の梼原町に1000年以上続くという津野山神楽が10月30日行われた。以前から一度見てみたいと思っていたのがようやく実現した。梼原町は竜馬脱藩の道があることから近年にわかに注目されている。またエネルギー自給を目指す特異な町としても知られる。太平洋岸の須崎市から約50キロ山に入る山間の町だが、どちらかといえば瀬戸内海の大洲市に近い。
そんな山間の町で何回も御神楽が行われる。今回は町の北にある三島神社が会場。三島神社そのものが平安の初期にこの地に移ってきた津野経高によって伊予国から勧請され、代々の神官によって継承されてきたのが津野山神楽。神社と一体となって歌い継がれ舞い継がれてきたといっていい。
儀式は午後0時半に始った。神楽の物語は日本の神話に基づくもので、天岩戸から説き起こす。鬼が踊り、夜叉が舞う。リズムは太鼓と笛と鉦が繰り出す。想像以上にアップテンポで、阿波踊りに似た音律だ。どの舞も同じ音楽で、そのリズムと旋律が延々と続く。
鬼が踊る「大蛮」では、ユーモラスな語りがあるだけでなく、乳児の息災を願い、赤ちゃんを鬼に抱いてもらう儀式がある。どの子も鬼が恐いのか泣きわめくが、大人たちは楽しそうに乳児の鳴き声に喚声を上げる。
辺りが暗くなるまで太鼓とお囃子の音が鳴り響くが、本来、儀式は8時間以上も続くという。(伴 武澄) 続きを読む
2011年10月25日
「食とエネルギー自給」を目指す「土佐人民党」
自称「毎週金曜日はりまや橋商店街に出没する占い師」の源さんのブログ「占いから未来へ」が土佐論を展開していておもしろい。2009年7月13日の「土佐人民党を立ち上げましょう」では、地域政党として「土佐人民党」の設立を提案している。名称は「四国独立党でも何でもいい。土佐人民党は省略すると、土人(どじん)党。インパクトのある名前ではありませんか」というのである。http://sachiare.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-ec2d.html
使命は「食とエネルギーの自給」で、これならば高知県1県で不可能ではない。源さんによれば土佐人民党は「単なる政治団体というより、地域おこし研究・実践団体、教育団体の性格が濃いもの」「討議の末、あるべき姿が見え、政治家の力が必要になれば、地方議員にでも国会議員にでも働きかけて、実現させていけばよい」「政争に巻き込まれるのではなく、あくまでも「くにづくり」を志向」するのだという。
源さんの提案は、いわば県民シンクタンクのようなもので、。党員が立候補して政治を行うのではなく。人民党の政策・綱領を推進してくれる「政治家」を選んで「委託する」存在とでもいえまいか。 続きを読む
2011年10月22日
土佐の山間で繰り広げられた民権大絵巻
『土佐自由民権運動日録』や『土佐山村史』などによると、土佐山郷西川の桧山で「巻狩大懇親会」という催しが開かれ、県下の壮士約2000人がこの山村に集まったというのだから驚きだ。7日後、今度は香美郡赤岡の海浜で、「旧海南自由党魚漁大懇親会」も開かれ、中江兆民らも参加している。海、山で自由民権の大絵巻を繰り広げたのであるから痛快だ。
高知の「立志社」は、2隊に分かれて山越えで野宿しながら会場へ到着したという。高張提灯や旗を掲げ、銃や槍、薙刀(なぎなた)、野太刀などを携え、また毛布や食料などを背負った集団が山を越える姿は異様に違いない。現在でも15キロの山道を2000人のデモ隊が越えるという光景は想像できない。
なるほど植木枝盛が「自由は土佐の山間より発する」と言った意味が少し分かり始めた。 続きを読む
2011年10月21日
大豊町の村祭で留学生が神輿
そもそも村祭りなどと縁のない生活を送ってきたから、二つ返事で行くことを約束した。会場の星神社をネットで検索すると大豊町の大田口から山に入ったところにあった。16日の日曜日、吉野川沿いの約束の場所に向かった。副町長が出迎えてくれて「その車では無理なので町の車に乗りましょう」と誘ってくれた。
くねくねと山道を登り、15分ほど走ると山肌に棚田を構えた村落が現れた。庵谷(いおのたに)だ。庵谷の氏神さまが星神社。星神社の由来と村人に聞いたが、よく分からない。大豊町に星神社と名のつく社が11カ所もあるというのだから、この町にとって「星」は特別の意味があるのかもしれない。
神事は午前10時半からはじまった。留学生は20人以上が集まった。神輿の担ぎ手8人のうち、村人は1人だけ。残る7人は留学生。裃と烏帽子の装束を身に着けて、それぞれに神々しい。神事ではみなが正座し、神妙に神主の祝詞に聞き入る。拍手(かしわで)も打つ。イスラムのスカーフをかぶった女性もいた。
日本の神さまは八百万の神だから、宗教も分け隔てしない。山菜を中心とした炊き込みご飯と煮物の昼食は村の奥さんたちの手作り。肉が入っていないから、イスラムも問題ない。 続きを読む
2011年10月20日
「禁原発」-高木仁三郎の人類への警告
構想日本の西田陽光さんと都内でトークショーをした。テーマはNPO向け「発信力アップ講座」。何を話したから忘れたが、受講者の一人が西田さんの「発信力は情熱」という一言に痛く感じ入って「鳥肌が立った」といっていたから、なかなかいい「発信」だったに違いない。帰り際に西田さんから冊子をいただいた。故高木仁三郎「科学の原理と人間の原理-人間が天の火を盗んだ-その火の近くに生命はない」。原発の恐ろしさについて警鐘を鳴らし続けた碩学だった。この冊子を読後に岩波新書『プルトニウムの恐怖』(1980年)も併せて読んだ。30年前から原発や放射能の危険について語っているが、この冊子の方が分かりやすく、危機感が迫るものをもっている。高木さんが残した人類への遺言でもある。
高木さんによると、地球は宇宙の星のくずから誕生したもので、もともと放射能の塊だったものが「46億年かけて冷めてきて、ようやく人間や生き物が住めるくらいまで放射能が減ったもの」なのだそうだ。だから「宇宙に生命生命はいないと思う。それくらい地球というのは特殊な条件なのだ」。
その特殊性について、「水の存在」もさることながら、「放射能に対して守られていることが大きい」と指摘する。そんな特殊性があるにも関わらず、「せっかく地球上の自然の条件ができたところに、人間が天の炎、核というものを盗んできてわざわざもう一度放射能を作ったのが原子力なのだ」という。これまでの反原発論者が語ってこなかった部分ではないかと思った。 続きを読む
2011年10月17日
【アジアの意思】孫文革命100年記念関連ニュース
萬晩報は以前から財団法人国際平和協会と提携して「アジアの意思」を提唱してきた。「アジア主義」から100年、日本を中心としたアジア主義への反省から新たなスローガンが不可欠との認識から生まれた言葉である。英語では「Think Asia」という。今年2011年は孫文の辛亥革命100年。全国で孫文ゆかりのニュースが発掘されている。まさに日本と中国との歴史と未来を考える年としたい。たぶん、孫文を網羅したページは今回の萬晩報が初めてだと思う。各新聞社の事情で一定期間をすぎるとクリックしてもニュースが反映しない可能性がありますが、あしからず。【編集者=伴 武澄】
2011.10.17 辛亥革命100年 「革命の遺産恐れる中国共産党」ウォールストリートJ紙【産経新聞】
2011.10.15 中国辛亥革命 「民族」より「民権」を【毎日新聞】
2011.10.13 孫文の飛行学校設立で契約書 台湾の史料館が所蔵【共同通信】
2011.10.12 東奥日報社説「山田良政」
2011.09.26 孫文ゆかりの飛行機模型、長崎で展示 東近江市民が復元【京都新聞】 続きを読む
2011年10月17日
日経が電気自動車に朗報を掲載、NHKも
車で1000キロ、寿命20年…蓄電池技術の開発続々 日経 2011/10/17 2:03
自動車や電機大手が蓄電池の使い勝手を良くし性能を大幅に高める技術を相次ぎ開発した。トヨタ自動車は連続走行距離がガソリン車並みか、それ以上の1000キロメートルに迫る電気自動車(EV)に道を開く次世代電池を試作した。マツダは電池の容量を2倍近くに増やせる電極材料を開発、NECの技術は20年間もつ長寿命の住宅用蓄電池を可能にする。電力の安定供給のためスマートグリッド(次世代送電網)に組み込む用途も見込め、各社は拡大する蓄電池市場で主導権確保を狙う。
トヨタと東京工業大学、高エネルギー加速器研究機構は新化合物を使った次世代蓄電池を試作した。EVに搭載しているリチウムイオン電池並みに、加速に必要な大電流を出せる。従来の試作品の4~5倍にあたる。燃えやすい液体を使わない「全固体電池」で、発火防止材などが不要な分、構造を簡略化しコストを低減できる。 続きを読む
2011年10月16日
賀川という価値‐献身100年から学ぶもの
財団法人国際平和協会の会長をしています伴武澄です。2年前の賀川豊彦献身100年記念事業東京プロジェクトの広報委員長をしていました。本職は共同通信社の記者でしたが、5月に定年で辞めて郷里の高知に帰りました。私が賀川豊彦のことばかり話すので、よく「伴さんはクリスチャンですか」と聞かれる。去年から「はい、賀川教徒です」と答えることにしている。先月の神戸の賀川記念館の西義人さんと話していて、まさに「賀川教徒」で意気投合したばかり。イエスの友会はかなりの「賀川教」と聞いていますので、この研修会に参加できることをありがたく思っています。
ムハマッド・ユヌス
2009年の賀川豊彦献身100年記念事業の圧巻は神戸プロジェクトが招聘したバングラデシュのムハマッド・ユヌス氏との出会いでした。マイクロクレジットといって、貧しい人々に小額のお金を貸して「起業」させた人です。いまではグラミン銀行となって世界的知識人、経済人の一人でもありますが、もともとはチッタゴン大学の先生でした。農村の貧困に直面してアメリカで学んだ近代経済学がバングラデシュでは役に立たないことを知らされたのです。 続きを読む
2011年10月15日
40年支払って支給10年という年金の国家詐欺
4年前の2007年11月12日にドイツでの年金支給年齢引き上げのコラムを書いた。ドイツの場合、65歳から67歳への引き上げだった。今度の政府の提案は厚生年金の支給年齢を「68歳」に引き上げるという案だ。より深刻だ。平成17年度に厚生労働省が発表した日本男性の平均余命は78.79歳。日本では20歳になると年金を支払う義務が生じる。60歳までの40年間年金を払い続けて、10年ちょっとしか年金支給がないなどということがありうるのか。わが高知県の場合の平均余命は77.93歳だから、10年も支給がないことになる。
これは国家による詐欺だ。そんな厚生年金ならば、国民それぞれの自己責任で老後に備える方がよっぽどましだ。厚生年金は解散してこれまでの積立額に応じて分配すればいい。
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2007年11月12日 もはや年金と呼べない67歳支給
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2011年10月14日
引越しは5月5日、定年の日
陶淵明の「帰りなんいざ」(帰去来辞)はすべての官職を退けて田園に生きる心情を語った詩である。僕の場合は、単に根無し草の人生に終止符を打つのが目的。思いは随分と違う。津市ですごした2年半の思いは「欲望をかきたてない土地」に住む心地よさだった。デパートがない、繁華街がない、暇をもてあまして歩く空間すらない。それが心地よいのである。庭の草月とたわむれ、それに飽いたら浜に出て遊び、時として月を愛でる。
定年の1週間前の5月28日(木)の日記である。 続きを読む
2011年10月13日
憲法草案の生まれたピンクの書斎
高知市自由民権記念館で「憲法草案の生まれた書斎」という展示が開催されている。10月16日までだから後数日で終わる。この8月、館内の2階にピンク色の壁に囲まれた8畳ほどの空間が誕生した。異空間といっていい。自由民権運動家、植木枝盛が憲法草案を書いたことを記念していて、移築されたばかりである。それにしてもこんな空間で弱冠24歳の枝盛がどのようにして欧米の民権を学んだのか不思議に思った。
高知に住み始めて5カ月がすぎる。あいさつ状には「晴耕雨読」などと格好をつけたが、はたしてこの間、自分は何をしてきたのだろうか考えさせられた。
そうそう5月には中国・大連に旅し、旅順港をのぞんだし、霞山会の広報誌「Think Asia」の編集にも引き続き関わっているし、財団法人国際平和協会や世界連邦運動協会の会合にも頻繁に出席してきた。何もボーっとして5カ月を過ごしてきたわけではない。
8月にはよさこいを踊った。孫文革命に尽した高知出身の萱野長知の研究を始めた。ひょんな出会いから高知県の小水力のあり方について学び始めた。安芸市の寒村に嫁いだ小松圭子さんとの再会があった。高知工科大学で面白い音楽会に出会った。日中友好協会の高知支部の植野克彦さんが招聘した上海の画家との交友が始まった。 続きを読む
2011年10月12日
スティーブ・ジョブスが残した言葉
9月5日、アップルのスティーブ・ジョブスが亡くなった。筆者はウインドウズのユーザーであるが、ジョブスの生き様について、2005年の有名なスタンフォード大学卒業式での講演は忘れられない。ちょうどそのころ、弟の連れ合いがガンで亡くなった。その6年前に弟が南アフリカで死んでいたから、父と母を失った高校2年生が一人残された。僕はその高校生の甥にこの講演内容をプリントして贈った。本人はその意味をほとんど理解しなかったかもしれない。親がいても生みの親でない。そんな過酷は人生を送りながらも人々に愛される製品を次々と世に送り出している人もいることを知ってほしかったのだ。
ジョブスは生みの親と育ての親が違っていたことを初めて知った。育ての親は労働者階級だったが、息子の大学教育のために収入の大半をつぎ込んでくれた。ところが大学に通ううちに、自身で大学で学ぶ意味を見失い、中途退学した。多分、育ての親にこれ以上の負担をさせたくなかったのだろうと思った。
ほとんどの人が当たり前に生きる人生はジョブスにとっては「当たり前」ではなかった。 続きを読む
2011年10月12日
神社のキザハシ(階)
階段のことを考えながら飛行機に乗った。面白いもので、普段はあまり読むことのないANAの『翼の王国』をぺらぺらめくっていたら「神様への階段」というコラムが目に入った。丹生川上神社下社のことが書いてあった。ほとんど神ががりである。気のおけない友人たちとの食事中のことです。
「神社にあるキザハシって知ってる? 階段の階って書くんだけれど。すごいのがあるんだよ」とW大のO教授。最先端の狂言工学を教える方から「神社の階」とは意外なお言葉。
鳥居の先の拝殿からうっそうとした森の上に本殿があり、拝殿と本殿を結ぶ急な階段が「階」だという。普段この会談は使われないが、6月1日の「雨乞い」例祭には会談の板戸が外されて神主と氏子たちが急勾配の75段の階段を上がってお供えをするのだそうだ。この神社は訪ねたことはないが、森の中を駆け上がるイメージなのだそうだ。
続きを読む
2011年10月12日
都会の修行-階段の上り下り
2週間ほど東京に行っていた。ある晩、息子のアパートの階段を酔って上りながら「何段あるのか」数えてみた。「そういえば今日も階段をたくさん歩いたな」。そんなことを感じながら上ると18段。そう、息子の部屋は3階だからもう一回階段を上らなくてはならない。2階から3階は14段あった。合計で32段である。忘れないようにしっかりメモをとった。翌日、東京の駅の階段を数えてみようと思った。アパートの最寄り駅は西武武蔵野線の是政。通勤のルートは是政-武蔵境-四谷-赤坂見附である。是政は終点だから改札からそのままホームになっていているから段差はゼロで非常に心地いい。JR中央線での乗り換えの武蔵境駅は現在、工事中でややこしい。高架にある武蔵野線のホームから階段2つ合計46段下ると乗り換え用の改札が地上にあり、今後は39段上がってようやく中央線のホームに到達する。
両方のホームは地上ほぼ同じレベルにあるのに段数は7つも違う。一段の高さが違うだけの話だが、「ああ、階段ってどこも高さが違うのだ」と実感させられた。どうでもいい話だが、JRは段差を16・5センチにするように決められているそうです。それでも中央線の高架の高さは実は普通の家の3階以上の高さにあることが分かった。
続きを読む
2011年10月07日
システム屋が書いた青春小説『ぼくらの大脱走』
共同通信時代に47NEWSで一緒に仕事をした鳥井良二があるとき、「相談があるんですが」といってお茶に誘われた。お酒だったかもしれない。そこらはよく覚えていないが「小説を書いたんですが、読んでくれますか」というので驚いた。鳥井はシステム屋さんなのだ。そちらの方面では会社で評価されていたのだろう、ボストンのMITに留学を許されていたぐらいだったから。その方面では一目は置いていたが、その鳥井がまさか小説までかくとは思わなかった。家に帰ってもらったワードの文章を一気に読んだ。翌日だったか「面白かった」と返事した。鳥井の文章を読んでいた思い出したのが井上ひさしの学園小説『モッキンポット氏の後始末』だった。井上ひさしが自らの生い立ちに重ね合わせた小説で、上智大学で世話になっていた神父さまをいたずらで困らせながらも慕っていく青春を描いていた。 続きを読む
2011年10月06日
青年海外協力隊をつくった海部さん
実は海部さんが首相だったころ、日米構造協議があり、ブッシュ米大統領との直接談判のため、ロサンゼルス郊外まで同行取材をしたことがある。政府専用機で記念撮影をした際に一言話をしたことがあるが、当時の首相が一介の経済記者の存在を覚えているはずがない。
面白いもので7月のインタビューの際に、海部さんが最も力を入れたことを聞いたら「青年海外協力隊の設立に関わったことだ」と話した。日本が世界平和のために尽せることを自民党青年局で話していたら、ケネディーが始めた平和部隊みたいなものを日本でもつくろうということになり、協力を求めるために全国を行脚した話が出た。 続きを読む
2011年09月23日
ファテマちゃん物語(6)途絶えた消息
途絶えたファテマちゃんの消息
日本人ひとりひとりの支援が、アフガンの一人の少女に “ 新たな生命 ” を吹き込みました!去年8月、皆さんの応援のおかげで、頭部へ貫入した銃弾の摘出手術が成功し、無事に故国アフガニスタンへ帰国を果たしたファテマちゃん。あれから1年が経ちました。近況のご報告をさせていただきます。
2004年9月帰国。故国アフガンでも盛大に迎えられてから、もう1年が過ぎました。
あのときは、日本中の皆さんから応援をいただき本当にありがとうございました。
この1年間、私達(NPO アジア戦災孤児救済センター、現地AWOA戦災孤児のためのストレス・クリニック)は「良かった。良かった」と顔で笑いながら、心の中では「本当に大丈夫?もしも、突然に悪くなってしまったら・・・?」と不安で一杯でした。 続きを読む
2011年09月18日
山元町に開店した学生cafe
麗澤大学(千葉県柏市)の学生が8月に宮城県山元町の内手仮設住宅で始めた「学生Cafe」が9月20-23日、本格オープンする。学生たちの思いは被災地に「日常」を取り戻すことである。3・11以前に常にあった「人と人との平穏な繋がりの日々」を回復するのが目的である。財団法人国際平和協会と学生たちを結びつけたのはアフガニスタン戦災孤児救済センターの生井隆明さんだった。カブールに単身乗り込み6年間にわたり戦災孤児たちに救いの手を差し伸べてきた人物である。アフガンでの思いを新たに活動復活を誓ったとたんに起きたのが東日本大地震だった。
宮城県で被災者の中で活動していた麗澤大学の学生らと出会い、交流が始まり、「学生Café」のアイデアが浮上した。学生たちが動き出したのは生井さんとの会話の一言だった。
「被災者たちはおっさんたちに手伝ってもらうとどうも心に負担が生じるらしい。その点、学生なら気が楽なのだそうだ」
「そんなら僕らがやろう」
世の中難しく考えないのが学生の天分だ。今回学生たち6人はレンタカーを借りて4泊5日の旅に出る。予算は約10万円。幸い「東日本大震災支援学生団体が集めた募金」がまだ残っている。市民活動支援団体からの支援金にも期待している。
仮設住宅学生カフェプロジェクト ~プレオープン~ 報告書
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